みんなの思い出特集!あなたにとって人生最高の日は?

生きててよかった!みんなの人生最高の日は?

あなたにとって人生最高の日はいつですか?

結婚式や我が子の誕生、入学式や卒業式、受験合格や入社試験合格など、人生にはめでたい行事や喜ばしい出来事が沢山あります。

今回は人生最高の日というテーマで皆さんにアンケートを取りました。

人生最高の日に何があったのか。皆さんの素晴らしい思い出に関するエピソード、ちょっといい話や泣ける話などをまとめましたのでご覧ください。

みんなの人生最高の日

ここからは、皆さんの人生最高の日やその思い出に関するエピソードを紹介します。

「結婚」の思い出

・月並みですが、自分の結婚式です。途中めんどくさいなと思うことや、自分の親や彼、間接的に彼の親や親族とケンカや行き違いもありましたが、当日は友人、職場の同期、上司、親族、色々な人がお祝いしてくれて、とてもいい日になりました。大学を卒業して以来、久しぶりに友人と集まれたのもあって、皆の『今』をたくさん話せて嬉しかったのもあります。すべてが思い通りになったわけではありませんし、当日打ち合わせと違うところもありましだが、ハプニングさえよい思い出のうちの1つです。結婚式なんて別にやってもやらなくてもどっちでも。ウエディングドレスも白無垢も別になんでも。と思っていましたが、親も彼も喜んでドレスを選んでくれて、大切にされているんだな、大事にしたいと思ってくれているんだなと再確認できたような気持ちでした。

・現在の夫からプロポーズを受けた時です。その時、友人の結婚披露宴の司会を二人で引き受けており、夜景のきれいな会場にいました。お客様をすべて見送り、片付けのために会場に残っていました。あらかた片付いて、新郎新婦の着替えを会場で待ちながら夜景を見ていた時に、不意に彼から「こんなに素敵な夜景の見える場所で結婚式なんてできないだろうけど、それでも良ければ僕と結婚してください」と言われました。当時、二人とも病気がちで家計が苦しく、それでも一緒に生きていこうと言われ、また、友人の晴れの日に自分も幸せのおすそ分けを受けられたこと、いかにも私たちらしいシチュエーションでのプロポーズに思わず涙を流してしまいました。

・今の主人と出会えたことが人生で最高の思い出です。主人と付き合い始めた頃は、元彼に浮気され失恋したばかりで、人生のドン底のような毎日でした。心機一転、恋愛運をあげようと東京大神宮へ友人と参拝しに行きました。そこで、おみくじを引き「身近な人に目を向けること」という内容のお告げから、失恋を振り返らず、前向きな気持ちに切り替えました。当時、誠実で真面目な仕事ぶりが評判の同僚だった主人に仕事の相談をするうちに距離が縮まり、お付き合いし、3年の交際期間を経て結婚に至りました。今は可愛い子供にも恵まれ、家族も健康であり、現在進行形の人生で最高の思い出が積み上がっています。あの時、お参りしたお告げに感謝しております。

・私の人生最高の思い出は、ありきたりですが、結婚を迎えた日のことです。夫とは、親の紹介で知り合いました。恋したわけでなく、デートでは、「私は、この人のこと好きなのかしら」と思っているくらいときめきがなかったのです。私は結婚に対して、非常に臆病でした。プロポーズをもらってからも散々迷って、思い切って打ち明けると、「自分がいるから、大丈夫」と何度も励ましてくれました。その時はその励ましに半信半疑でしたが、お付き合いを続けるうちに、いつの間にか不安が薄らいでいたのです。その時から思っていましたが、夫は、私との距離のとり方が絶妙です。私は人との距離に敏感な性質なので、夫のような人は、とても気持ちがよいのだと思います。そんなわけで、夫と結婚できたときは、嬉しかったです。夫が、結婚式の朝に婚姻届を出してきたと報告してくれた時、結婚の実感がじんわりとこみ上げました。結婚後も、夫は私の扱い方が本当に上手なので、私は夫といると、訳もなくはしゃいでしまいます。

・私の人生で最高の思い出はたくさんの人を招待して盛大な結婚式を挙げたことです。嬉しい思いで・楽しい思い出はこれが一番だと思います。特に、遠方からきてくれた人や私や主人の友人をたくさん呼べたことと、私の実家の祖母を呼ぶことが出来たことはとても良かったと思います。一生の思い出で一生の宝物だと思いますし、大きなお金が吹っ飛びますがとても良いことだと思っています。そして今でも毎年必ず定期的にクリスマスディナーの正体のはがきが届いて毎年必ず食べに行っています。これはとても良いことだと思っています。これからも毎年記念に残るので招待されたら食べようと思っています。最高の思い出は消え焦ることがありません。料理はあまり食べられず緊張していました。

・私の最高の思い出は今の主人からのプロポーズです。高校2年生の時からお付き合いを始めて約9年経った頃、私自身結婚を意識するようになりました。しかし彼から結婚の話やプロポーズが一切なく…(笑)かと言って私から結婚の話をするのは悔しいので言いませんでした。でも早くプロポーズしろよ!オーラは出ていたと思います(笑)付き合って8年経ったクリスマスイブ、その日は彼の誕生日だったので前から約束していた温泉旅行へ出掛けました。私はしびれをきらしていたので、ここで逆プロポーズをしてしまえ!と思っていました。温泉へ入ってご飯を食べて、真っ暗な部屋で夜景を見ていたら、彼から「結婚しよう。」と婚約指輪を渡してくれました。想像もしていなかったのでとても嬉しくて泣いてしまいました。でもまさか2人同じ日にプロポーズしようと思っていたとは思いもよりませんでした。

・私の人生で最高の思い出は、妻に出会ったことです。これが私の人生の全てで、そこから幸せな人生が始まりました。妻と出会うまでは、あまり良縁に恵まれず、出会って告白しても振られることも多く、又、付き合ったりした女性も居ましたが、心が揺れ動かされることもなく、幸せを感じたことはありませんでした。そんな感じで悶々とした日々を過ごしていたある時、登録していたお見合い系サイトで、妻からのメールがありました。それまでも、何人もの女性と、お見合いサイトで知り合って、直接出会いはしましたが、その殆ど、相性が不一致な場合が多く、会えば会うほど、がっかりするような方が多かったので、自分に問題があるのかもしれないと悩んでいました。そんな感じで、あまり期待せずに妻と出会って、初対面から惚れてしまいました。それで、3回目の時に全て正直な気持ちを打ち明けたら、妻からも告白されて、凄いお互いフィーリングがバッチリになり、その後は順調に交際が継続して、婚約、結婚につながりました。結婚後も、結婚前と同様、妻は私に対して献身的で、本当に頭が下がります。お互い異性は苦手だったので、子作りでは不慣れで少々苦労はしましたが、とにかく相思相愛だったので、そんなことも苦に感じず、一緒に居るだけで、楽しくて、いつの間にか自然な形で子供も出来て、家族も増えて、もう幸せいっぱいです。これからも家族のために頑張りたいと思っています。もう今は、ただただ妻に感謝です。

・今の嫁と出会えたことです。嫁と出会えてから人生が変わりました。どう変わったかと言うと、思い通りの人生を歩んでいる気がしています。それまでは、大した変化がない生活でしたが、仕事をやめて海外に移住したりとむちゃなことにもついてきてくれました。子供が二人いますが、私の意見を最終的には尊重してくれます。当然、色々とぶつかることもありますが、最終的には折れてくれます。嫁は九州の人なので、もしかしたら一歩引いて後ろを歩いてくれる女性なのかなと思います。ただし我は強いですが。海外移住や無駄な浪費、色々なところを転々する生活をすべて受け入れてくれました。現在は大手広告代理店に務めることができ、それも嫁のおかげだと思います。次はもっとステップアップしていきたいです。

「恋人・デート」の思い出

・初めての彼ができてから迎えた私の誕生日。その日もデートの約束をしていてプランは彼がたててくれているとのことで、楽しみにしていました。当日、朝からドライブに行き、海を眺めながらぼんやりと他愛もないことを話したり、昼食は当時流行っていたお店で済ませ、最後に地元でも有名な夜景がきれいに見渡せる場所にも連れて行ってくれました。彼の家に行くと私が以前好きだと言っていた洋菓子店のケーキがあり、「初めて誰かのためにお誕生日ケーキを買った、おめでとう。」と言って一緒に祝ってくれたのが1番嬉しかったです。彼は甘いものは苦手なのにその時は案外甘いのも悪くないな、と食べていたのが印象的でした。不器用な彼がいつもより素直な気持ちで私と向き合ってくれたことがなにより嬉しかったですかね。

・私の人生で最高の思い出は、好きな人に告白されて初めてのデートに行ったことです。中学生のころから好きだった人に、高校3年生の冬に告白されました。初めてのデートで近所の山に一緒に行って、夜景をみました。その時にみた好きな人の横顔とキラキラ瞬く夜景や星空の美しさが忘れられません。その後も何回もデートを重ね、どれも楽しく良い想いでを作ってきましたが、やはり初めてのデートがどれよりも最高の思い出だと思っています。きっとこれからも、この初めてのデートの思い出が私の人生の中での最高の思い出であり続けるんだろうなと感じています。それほど、楽しく心に残っています。帰り道に初めて手をつないで、好きな人と寒いね、でも手はあったかいねと言いあったことも忘れられない大切な思い出です。

・高校1年生になり、高校まで電車を利用し通っていました。いつものように電車に乗り、終点の駅で電車から降り、改札口に向かう中で、1人の女性を見た瞬間に恋をしました。一目惚れでした。その人は、自分の制服と違っていたため、同じ高校ではありませんでしたが、制服を見てどこの高校であるかは分かりました。終点の駅でその女性とは別々の通学路となる為、見ることが出来るのは、行き帰りの電車のみでした。電車の中で気付かれないようじっと見つめ、どういう人なのか?性格はどうなんだろう?どんどん気になっていきました。そんな日々が続いていましたが、気持ちを抑える事が出来ず、帰りの電車の中で、その女性が友達と話をしているところへ行き、友達になってくださいと声を掛けました。女性の友達も一斉にこちらを見ましたが、その女性は「はい」と言ってくれました。お互いの友達達を紹介し合い、遊べるようになりました。自分よりも1つ年上でしたが、話していく中で、その女性の人柄等知ることが出来、さらに気持ちは強くなっていきました。そしてその気持ちを勇気を出して伝え、初めて見た日から約半年後に、ずっと思い続けた人と付き合うことが出来ました。

・23歳の時に交際していた、年下の彼が人身事故を起こしてしまい、留置場に拘留されたとき、私が飲酒運転をしたきっかけとなったのに、自身の今後の心配よりも、心配をかけた両親よりも、私の心配をしてくれ、交際中こんなことになってしまいもう二度と会えなくなるだろうと覚悟していた私に、最大拘留を終えた彼は、一番に電話をくれた。このような事態に心休まる日が無かった。事故が起きてからは、裁判や刑期など先が見えない不安にお互い本音で向き合うことが無くなり、だからこそ学んだ分、大好きな彼がこの上なく苦しんでるとき、救いたくても、何もできなかった私は、何もないのが幸せで、ただ彼と何でもなく過ごした日々が最高に楽しかった思い出です。

・東北出身者ですが、中学校から付き合っていた彼女が高校卒業と同時に関東の大学へ進学することから、地元を離れる事になりました。私は、東日本で多数の店舗を持つサービス業に就職しましたが、彼女の学校と同じ市内にも店舗があり、また、同一県内にも複数の店舗がありましたが、基本的には高校生の新卒は、最初の勤務先は地元へ配属をする会社でした。高校を卒業して、彼女は関東へ引っ越しをして、その間に私は入社にあたり、新卒研修に参加していましたが、配属先は研修が始まった段階では決まっておらず、研修の中で決まります。研修の中で、配属希望店舗のアンケートあり、迷わず関東の彼女の学校と同一県内を希望してだした所、本部からも実は希望する県内の店舗へ行ってほしいと言われ、会社も含めて私も彼女も希望通り配属された事により、新年度より私は社会人、彼女は大学生として、難しいお互いの希望を通し、地元を離れた関東で同棲する事ができました。

・今の彼氏と会えたことです。何人か付き合ってきましたが、自分が好きでと言うより、告白されたから付き合った感じなので、別れる時も「あ、そっ」ってのりでした。だけど、彼氏の時は、「あ、この人はなんか違う」、「この人と一緒になりたいな」って、初めて自分から思えた人。実際、彼氏は、告白は物おじせず、ストレートに「どうやって、○○さん(私)を口説いていいか判らない程、困っている」と口にしたくらい。付き合ってからは、殴り合いの喧嘩もしたし、泣くこともたくさんありました。逆に、彼氏を困らせたこともしました。だけど、最後は、彼じゃないと駄目なんだと思い、現在に至ってます。一つ一つの思い出が、私にとっては宝物です。これ以上に、楽しいことはありません。

・今までで、一番楽しかった時期は何度か有りますが、22歳の頃、若かった頃の思い出が一番楽しかった時期だったな、と今になって思います。仕事をしながら、夜はファミリーレストランでアルバイトしていました。アルバイト先の皆と仲良くなり、大学生と年齢も近いのも有って毎日遊んでいました。アルバイト先以外にも友達がいて、色んな友達と次の日の仕事も関係無しに遊んでいました。ダイエットして、おしゃれして、理想の自分になって、眠ってなくても元気で、車で遊びまわっていました。アルバイト先に好きな男の子がいて、両思いになれて、最初に2人でドライブに行って、その日が一番人生の中で、最高の思い出でした。30年近く前の思い出ですが。

「出産・子育て」の思い出

・娘を出産した時が、これまでで一番幸せを感じました。計画帝王切開で、予定通りの出産となりました。前日から入院をして、どきどきしながら一晩病院で過ごしました。娘を妊娠している期間は、初期につわりはありましたが、その他にはトラブルもなく順調な経過でしたが、やはり出産が無事に終わるまでは多少なりとも不安がありました。当日の朝に看護師さんから「今日帝王切開予定だった方が一人、早めに産気付いて夜中に出産がすんだので、予定時間より手術が早まるかもです。」と伝えられて、今か今かと娘に会えるのをも待っていました。それでもやっぱり色々あったのか、当初の予定に近い時間までは呼ばれず、ほぼ予定通りに呼ばれました。麻酔も済ませて、いよいよ手術開始。下半身麻酔だったので、痛みはないけど感触と、聴覚はありました。手術の経過はよく分かりました。娘が産まれてきて、産声をあげたときにホッとして涙がでました。とても嬉しい瞬間でした。

・人生の最高の出来事は新しい家族が出来たことだ。夫婦2人きりで暮らしている時は、つまらないことでもよくケンカをしていたが、子はかすがいというのは本当で、ケンカしそうになっても、子供の目を見ると、ケンカをするのをやめる気になる。夫婦はまあまあの仲だったとは思うけど、新しい家族を迎え入れてから、更に仲良くなったし、毎日が明るくなった。すっかり家族を中心の生活になった。それまでは仕事が中心の生活だったけど、家族のために早く家に帰りたいと思うよになったし、家族のことを第一に考えて行動できるようになった。家族を更に増やせば更に楽しくなるだろうけど、今は今が一番幸せ。沢山の幸せは今は必要なく、ささやかな幸せで十分と思えるようになった。

・子供を妊娠し、出産した事です。子持ちになるまでは、そこまで子供好きではなかったのですが自分の子供の可愛さにびっくりし、母親になって子供たちを育てる事が出来るという事が嬉しすぎて、こんなに幸せで大丈夫なのかと怖くなる位でした。長男を出産したのは32歳の時だったのですが、新生児の長男をお世話していて、あまりの幸福さに嬉し泣きしていました。32年生きてきて、嬉しくて泣いたのが初めてだったので自分でも驚きました。自分の今までの人生は、この子を抱っこするためにあったんだと、今までの事が全て報われた気持ちになりました。これからの人生は、この子が独り立ちするまで育て上げるためにあるんだと思い、それが重たくもあり、とても幸福な事に感じました。

・子供を授かった時です。3度の妊娠で出産まで上手く育ったの子は1人です。年の差カップルの私ですので正直子供は無くても良いとも思っていました。出産時の私の年齢は26歳です。1度目の妊娠、突然聞こえなくなったベビーの心音。主治医からすぐに入院をし処置を・・の説明が全く聞こえませんでした。突然のショックで耳が聞こえなくなっていた様です。自分が何処でどうしているのかも定かではなくなり、ただ意識を失わない様にする事に一生懸命になりました。そんな事を乗り越えてからの2度目の妊娠で無事出産までたどり着けました。子供の成長と共に成長出来た私が居ます。子育てはほぼ1人でこなして来ました。色々な壁がありましたけど今振り返ると全部が良い思い出になっています。

・私の人生で最高の思い出は子供を二人出産したことです。私はずっと赴任だったために絶対に子供は産めないだろうとあきらめていた矛先の出来事でしたのでとても嬉しかったです。なので人生で最高の思い出という事にしています。嬉しかったという気持ちの方が強く、毎日一生懸命子育てをしています。また最近では子供がいろいろと言ってくるようになったのでこれもまた思い出に残るだろうなと思っています。小さいうちは色々と可愛いことが多いですが大人になってくるにつれてだんだんと色々なことが起こってくると思うのでしっかりとやって行こうと思っています。人生で最高の贈り物を神様はしてくれて私は幸せ者だと思っています。感謝したいです。

・私の人生の中での最高の思い出は、子どもの医学部の合格です。結婚、子どもの出生など、嬉しい楽しい思い出はいくつもありますが、子どもの大学合格は、その中でも最高の瞬間でした。彼は、高校卒業時に私に遠慮して、違う学部に進学しました。しかし、彼は、夢をあきらめきれず、その大学をすぐにやめてしまい、そこから3浪、つらく長い日々が始まりました。経済的な状況もあり、これで最後と告げてチャレンジした、3年連続の医学部受験、どうしても翌年は浪人させられない為、滑り止めで農学部を確保、そんな中での受験でした。センターちょっとしたミスがあった中望んだ国立大学の合格発表、仕事を休んで自宅で待機、パソコン画面を見ながら、閲覧が集中し、遅い中、彼から受かったとの連絡。人生で最高の思い出は、私だけでなく、子どもにとっても最高の思い出だと思います。

・人生で最高の事。それは33年間で3人の子供を産めた事。1人目は18歳。そして29歳で2人目。31歳で3人目。1人目は普通分娩。痛みと戦い2.689gの男の子。初めての出産。苦痛で嫌だったけど、元気な声で産まれて来てくれました。早いことに来年高校生になります。2人目は2.794gの女の子。2人目妊娠した時にはビックリと不安。時代も進み無痛出産で産みました。産まれた時には不安も飛び感動!!今では5歳。私と喧嘩も出来るようになり毎日大騒ぎです。そして3人目も無痛で。3人の中で1番大きい2.837gの男の子でした。しかも3人の中で髪の毛がフサフサで、気になって笑った出産でした。今では2歳になり1月で3歳。5歳の娘と毎日走り喧嘩しで私は   勘弁して。。。  と騒ぎながらも毎日笑って暮らしています。それが嬉しい事。幸せな事です。

・私はあと数年で還暦を迎える年齢ですが、最高だと感じた瞬間は、一番目が結婚した時で、二番目が出産した時でした。もちろん、出産が私にとって一番嬉しかったことで、一番幸せを感じた瞬間でした。出産は、恐ろしいほどの痛みや苦痛を伴いますが、それを乗り越えた末の、我が子の誕生というものは、もう言葉にできないくらいの幸せ感に包まれます。こんなに苦しい想いをしたのに、女性に生まれてよかった、生まれ変わってもまた女性に生まれて子を産み育てたい、と思ってしまうのは母性のなす業なのでしょうか。友だちと旅行したり、趣味で一人旅をしたり、孫に優しい言葉をかけられたり、人生に楽しくて嬉しいことはたくさんありますが、一番輝いている最高の思い出というと、やはり長女を出産した時のことをまず思い出します。

・長女が東京大学に合格したことです。自分自身高校の時、知能指数が高く、担任の先生に、これだけあったら東大も夢じゃないといわれ、頑張りましたが叶いませんでした。自分の夢を子供に託してよいのかとは思いましたが、赤ちゃんの頃から色んな教材を使い、知能を高める工夫をし、2歳のころには東大に入れようと決意しました。この地方からは東大を目指す人は非常に少なく、塾選びや教材選択、情報の少なさに苦労しました。また、周りの人や親戚からも共感はあまり得られませんでしたが、なんとか合格にこぎつけました。一浪しましたが、私の教育方針に素直についてきてくれた長女には、よく頑張ったねと褒めてやりたいと思います。ありがとう。本当に嬉しかったです。

・子供を出産したことです。私みたいな人でも、母親になれるんだなーと思いました。そして、主人にも、「父親」になるということを経験させてあげたことを嬉しく思います。元来の、「こどもぎらい」のわたし。親戚や友達に子供が生まれても、なんの関心も示さず、それどころか嫌悪感すらもっていたのに、我が子は別でした。子供なんて、産むのはカンタンと思っていましたが、真逆でした。50時間も陣痛に苦しみ、途中で、「もう子供なんていいから痛みをなんとかとめてくれ!」と産婦人科医にお願いしたくらいでした。生まれてみると、ほんとにかわいい女の子で、一般の人が言う、「この子のためなら、なんでもできる」と思いました。子供を産んだことが人生最高の思い出です。

「旅行」の思い出

・小学生の時、初めての家族旅行です。転勤族で休日も仕事をしていた父と初めて家族で旅行に行きました。ずっと行きたいとお願いしていた、温泉、プール付きの施設にお泊まりしました。ウォータースライダーや流れるプールで遊び、母と温泉に入り一日楽しく過ごしました。その日は、夕食に大好きな蟹の食べ放題までつけてくれて、毛ガニをたくさん食べました。次の日も、熊牧場にて近くで熊にリンゴをあげたり、水族館に行ったりして帰宅しました。宿泊をする旅行が初めてだったのでとっても楽しく、印象に残っています。家族で泊まりがけで旅行に行ったことは数えるほどしかありませんが、その中でも初めての旅行の嬉しさは忘れることができません。

・家族でディズニーランド・ディズニーシーの旅行に行ったことです。子供がやっと小学生になり、少し子供に手がかからなくなりみんなで旅行に出かけました。初めての夢の国に子供もハイテンション!「ママ楽しいね」という言葉に私もとても嬉しくなり1日中夢の国を満喫しました。子供と一緒にいれる時間は限られており自分の子供と楽しい時間を共有できたことは、今のところ人生で最高の思い出です。私が大好きな乗り物が子供も大好きだと気付いたことも良い発見です。普段家で過ごす子供の顔とディズニーで過ごす子供の顔の違い、きらきらと目を輝かして次ここに行きたい、あれ食べたいなどいつも叶えてあげれないお願いを快く受けることができました。またいつか行きたいと思ってます。

・私の人生で最も楽しかった思い出は、新婚旅行で北海道へ訪れた時だと思います。長年付き合っていた主人とようやく入籍をし、結婚式も挙げ、新婚旅行までこぎつけました。新婚旅行までにはいろいろな苦労と困難があり、すべてが終わったのだとすっきりした気持ちもありました。また、単純に北海道は私にとって初めての場所で、わくわくしたという部分もあります。函館、札幌、小樽、旭川、美瑛、富良野、千歳を周りましたが、どこもなぜか懐かしく感じる風景と、心地よい空気が流れていて、故郷のように感じました。食べ物はどれも美味しく、過ごしやすかったので、本当に素敵な思い出が作れたと思います。できれば、もう一度行きたいと思いますし、その時はまだ巡っていない帯広や摩周湖の方に行ってみたいなと思っています。

・私の人生で最高の思い出は、初めて北海道に旅行した時のことです。道東方面へのツアーで女性の友人と二人で行きました。10月中旬でちょうどいい気温。青い空。白樺。千昌夫さんの歌を思い出して思わず歌ってしまいました。絶対食べようと決めていたトウモロコシの甘いこと甘いこと。身もぷっくりしていました。空気も景色も自分の住んでいる大阪とは全然違って友人も私もハイテンションになりました。北海道ツアーは長時間のバス移動がほどんどなので、バスガイドさんのキャラクターも重要になってくるのですが、あたったバスガイドさんは面白くて気さくなお姉さんでした。たぶん、バスガイドさんが相性があわなかったら、バス旅行はストレスのある旅行になるのでしょうね。気さくなバスガイドさんが休憩所のサービスエリア等に行くたびに、「ここのお菓子はここでしか買えない」「ここのアイスはとても美味しい」と宣伝してくるもんだから、その都度しっかりお金を使わされました。かなり散財したし、美味しいものを食べすぎて太りましたが、この北海道旅行が人生最高の思い出です。

・最高の思い出は一人でヨーロッパ旅行に行ったことです。海外旅行も行ったことがなかったので想像かつきませんでしたが、完全に非日常だったのでとても楽しかったです。不安なことも無く、もはや突っ走っていきました。英語も喋れる訳ではなく、方向音痴な為、現地の人にカタコトの英語で一生懸命にジェスチャーを交えて会話するのがとても楽しく、良い経験でした。周りからは一人でもあるのでかなり心配されましたが、何とでもなりました。また、旅行だけでなく、旅行の前準備もとっても楽しかったのでまた時間とお金があればひとり旅をしたいと思う日々です。前準備では、観光地調べや観光地に行くまでの道のり、手段、現地で有名なグルメ調べがとにかく楽しかったです。

・イギリスに住んでいたときに、とても仲のよい友達ができました。週末はよく一緒に出かけたり、宿題を教えてもらったりと、どちらかと私がお世話になっていたような気がします。その後、私のビザが切れるため、私は日本へ帰らなければなりませんでした。その時もちゃんとメールアドレスをお互い交換しましたので、その後も連絡を取り続けていました。日本に帰ってから1年後、職場が夏休みを1週間くれることがわかったため、イギリスへ旅行に行くことにしました。もちろんそのお友達にも連絡をとり、時間を空けてくれていました。空港まで迎えにきてくれて、その1週間はイギリスを車で縦断しました。一番の思い出は登山をしたことです。途中きつすぎて、立ち止まりましたがなんとか登り切りました。この旅行が一番いい思い出です。

・わたしが今までのまだ短い人生の中で一番最高だと思っている思い出は、高校生のときに初めて行った海外旅行です。バイト先の店長がバイトを頑張っていた私にご褒美として連れて行ってくれたのです。学生の時のバイトは三年間続けて、最後の1年はほぼ毎日出勤してみたりと、自分なりに頑張っていたので、そんな素敵なご褒美がすごくうれしかったです。旅行までのあいだは、本当に待ち遠しくて勉強もバイトもいつも以上に頑張れていたと思います。学生の自分が憧れの海外旅行へ行けるとは思ってもいなかったので。実際の旅行は本当に楽しかったしすごく刺激を受けて、今の仕事にも役立っています。素晴らしい経験をさせてくれた当時の店長に感謝してもしきれないくらいで、最高の思い出として残っています。

・4~5年前に八重山諸島の小浜島で遊んだことです。「ちゅらさん」はNHKでオンタイムでは観ていなかったので、行く前にCD-BOOKを購入して一気に観ました。それも有って現地では「ちゃらさん」のロケ地巡りのようなことも10年以上経過した後に行いました。やはりとうきび畑の真ん中を貫くシュガーロードを自転車で降りていくときが一番の感動でした。また島全体も自転車で1時間程度で周れるし、バイクを借りて周れば疲れなしで周れるのでもっと快感です。ホテルの人からは島の北側に有るリゾート跡地が人も少なくて綺麗で穴場だと聞きました。行って見ると8月下旬にも関わらす私の他には人が一人だけでした。しかも現地の人か分からないけれど若い女性がひとりで海に浮いていました。こんな静かで人がいなくて綺麗な場所は、今の所最初で最後です。

・生まれて初めての海外旅行で韓国に入ったことです。1999年に家にケーブルテレビを導入したことがきっかけで初めて韓国ドラマを見ました。隣の国だけどよくわからない、なんとなく怖いという印象がありましたが、ドラマで見る人間模様や地下鉄の景色などは日本ととても近いと感じました。何本も韓国ドラマを見るうちに行ってみたいと思うようになりましたが、当時は病気で遠くに出かけることができませんでした。数年後、体調が落ち着いてから念願叶ってソウルに行けた時は本当に嬉しかったです。ドラマで見た風景や言葉が目の前にありました。空港に降り立った瞬間から興奮して、夢がやっと叶ったと思いました。ソウルの街は日本のようでもあり日本とは全然違うようでもあり不思議な空間でした。その後も2回行きましたが、やはり最初の時の感激がとても大きかったです。一生忘れません。

・10代になった娘二人と、念願であった、イギリス・ロンドンへ旅行したことが今までで、最高の思い出でした。絶対に行こうと思っていた大英博物館、そこで見た収蔵物の数々、目玉であるロゼッタストーンや、ラムセス2世らの胸像の巨大さに圧倒されました。これほどの規模の博物館は他にないでしょう。そして、イギリスの魂ともいうべきトラファルガー広場のライオン像をながめ、視界には入らないほど高いネルソン提督像を見上げ、ナショナルギャラリーのおびただしい絵画を観覧しつくし、あのゴッホのひまわりの現物画を初めて鑑賞するという私の人生ではほぼ味わうことができない経験です。夢のなかにいるようでした。あの白くキラキラしたロンドンの風にもう一度吹かれてみたいです。

「青春・学校・受験」の思い出

・中学生、高校生の頃が今までの人生で最高に楽しかった時期だと思います。嫌なことも色々ありましたが、良いことが大きく、また数多くやってきた時期なので思い出すだけで「あの頃は」なんて思い出に浸ってしまいます。中でも中学時代の夏休みが最も輝いていました。午前中は苦しかったですが、陸上練習に励み2時間半ほどの練習にぶっ倒れていました。しかし、若かったのでしょう。お昼ご飯を食べたら、皆で海に行き、素潜りを2時間ほどやりました。サザエやアワビなどを獲って家に帰り、さすがに夕飯までは寝る。そして夕飯時には、プロ野球がテレビでやっていて食べながら、見る。それからは少し勉強して、寝る。この繰り返しだったのですが、とにかく毎日が充実していて、体も大きく成長しました。

・小学校6年性の時、熱い先生がクラスの担任になりました。運動会間近で、クラス対抗リレーの練習をしていたのですが、いつも私達のクラスはビリ。諦めかけていた私達に先生は、奇跡は起こせる!最後まで諦めないことが大切だ!と激励の言葉をかけてくれました。次の日からクラス全員でバトン渡しの練習をしました。放課後や、早朝にみんなで練習して作戦会議。最初に走る人、アンカーで走る人走るのが苦手な人は真ん中で走るなどを話し合いました。いよいよ、当日。小学校最後の運動会で、クラス全員気合いが入っていました。先生は「みんな!小学校最後の運動会だから悔いのないように走ろう!全員で奇跡を起こすぞ!」と掛け声をかけてくれました。クライマックスのクラス対抗リレーの時がやってきました。いつものようにビリでスタートを切ったのに、バトン渡しを練習成果が出たのか、時間差でどんどん追い抜いて、転びながらも2位まで追いつきました。終盤で走る私の番が来ました。ただ、ガムシャラに走り、アンカーへバトンを渡しました。アンカーが叫びながら足の回転を早めて、ついに追い抜いていきました。クラスのみんなと先生までもが感動して涙の嵐でした。人生でこんなに感動した瞬間はもうないだろう、今はセピア色に輝き続けています。

・嬉しい思い出は、あまりないけれど、小学生時代の合唱部で合唱コンクールで賞をとれたことでした。私一人の問題ではないけれど、みんなそれぞれが頑張って得たことなので、やりがいみたいなものと私でもやれたんだという充実感で胸が苦しくなりました。みんなの前で一生懸命歌うことの楽しさは今だに思い起こされてしまいます。そして、テレビに映る私の姿を喜んで見てくれた両親の姿を見て、やって良かったなと思いました。あと、楽しいなと思ったのは通信制大学で学位を取れたことでした。初めは無理と思った勉強もすらすらととけて、テストも合格出来たことは、とても嬉しい思い出でした。そして、卒論もとおり、卒業出来たことが何よりも楽しかったです。

・高校生活が一番楽しかったです。未だにコンビニも無い田舎から街の学校へ入学し、高校生活を送りました。全てが新鮮でした。初コンビニはわざわざ夜に行き、初カフェは慣れてる感を出すように本を持参して行きました。友達と出会って居場所を見つけたことがなにより嬉しかったです。両親がいないので祖父母の元で育ちましたが、やはり周りの友達との環境の違いを感じていました。また、いじめにもあっていたので早く抜け出したい気持ちもありました。そんな時期に知り合った初めての「仲間」。楽しいことも悪いことも、学校をサボって遊びに行く時もみんな一緒でした。毎日笑っていました。自分にこんなに楽しい日がくるとは思っていなかったので、世界一幸せだと思っていたのを思い出します。

・私の、人生で最高の思い出とは高校時代の1人の先生との出会いです。私は今、社会人として毎日激務をこなしています。そんな中、この前高校に企業説明会をしに行く機会があり、高校生と実際に触れ、今の仕事を高校生に話していく上でふと高校の時の担任を思い出しました。私のクラスは、かなりの問題児の集まりでで、無断欠席、授業妨害、違反行為は当たり前のクラスでした。もはや様々な大人が見捨てる中、私たちと真剣に向き合い3年間見守ってくれた担任との出会いで私達は改心し、今ではみんな真面目に職に着いたり、夢に向かって便がけに励んでいます。あの担任が、あの高校時代がなかったら、今の私達はいないとすら思います。担任の先生は、私達が問題を起こす度に一緒に頭を下げ、謝ってくれたり、罰則として居残りになれば毎日のように一緒に残ってくれたりなど、ほかの先生達は、全員私達を見捨てたのに、その先生は違いました。私は、いつか、その先生のようになりたいと今では日々頑張って激務をこなす日々を送っています。

・短大時代、夏頃に無事に私も友達も内定をもらい、就活が終わりました。そのお祝いも兼ねて、花火大会を観に行ったり、友達の家の前で線香花火をしたりして夏を満喫しました。その日の夜は友達の家に泊まり、夜中の3時ぐらいまでお喋りをしたりゲームをしたりして遊んでいました。翌朝、街でカフェやゲーセンに行ってから解散することになりましたが、お泊まりや旅行など、その友達とこんなにも長時間過ごすのは初めてだったので、普段しないような話でも盛り上がりました。例えば、街に行く準備でお化粧をしている時も「化粧品何使ってるのー?」「すっぴんでも綺麗だね」など女子ならではの会話をしました。そんなこんなで、夏の最高の思い出になり、卒業しても仕事頑張って、仕事の合間でまた友達とこんな風に遊べたらなと思いました。

・音大に受かったことです。難関だと言われていたので合格率は低かったのですが、猛練習をしたおかげで見事合格できました。あの時、運をすべて使い果たしたのではないかと心配になるほど私の中では奇跡でした。大学へ通うために一人暮らしを始めたのですが、それもすごく良い経験となりました。毎日アルバイトに明け暮れ、その他の時間は常に練習をしていました。恋人とかそんな甘い時間は一切ありませんでしたが、あの頃は色恋話なんて興味が湧かなかったです。それくらい真剣に取り組んでいました。音大で学ん6年間は私の最高の思い出であり宝物です。高い学費を出してくれた両親にも感謝の気持ちでいっぱいです。あの6年間を私は一生忘れません。

「仕事・就職」の思い出

・声優事務所に合格した時です。27歳になるまでずっと舞台をしながらフリーターをやっていましたが、ついに声優を目指して芝居をはじめてから9年で、やっとお金になる仕事にありつけるということに道筋がついたことです。もしこのまま1円も稼げずに芝居を続けていったら非常に悔いの残る人生に終わるところでした。合格が分かった翌日のアルバイトの帰り道はちょうど桜が満開の時期で世の中がとても明るく見えたのを覚えています。原付で家に帰る時事故を起こしてしまうのだけは避けようとびくびくしながら運転していたのを覚えています。もしせっかく事務所に受かったのに仕事ができなかったら、芝居をやっていたこと自体がすべて無駄な努力になってしまうからです。

・私が最高の思い出となったと思うのは、エキストラとして映画に出演できたことです。エキストラに参加したのは最初で最後だったのですが、その映画でばっちり顔が映る役を運よく担当することになりました。その担当することになった経緯も偶然で、トイレで順番待ちしていて最後に集合場所に戻ったら座らされたのがメインのエキストラの場所でした。もし、最後の方で順番待ちしていなかったらそんな体験できなかったのでラッキーだったと思います。エキストラは何もかも新鮮で、芸能人の方がすぐ近くで演技したり、照明やメイクなどの動きを間近で見られたりしたことは今でも鮮明に覚えています。なかなか体験できないことを経験できて、今では自慢できる最高の思い出になっています。

・わたしには転職経験があります。転職というとあまり良いイメージが持てずにいましたが、転職によって素晴らしい仲間と出会えたことがこれまでの私の人生で最高といえる思い出です。私は営業アシスタントとしてある企業に入社をしました。入る前には全く分かりませんでしたが社長のワンマン経営の企業でした。ですが社員は優しく、先輩にも恵まれ、仕事についても丁寧に教えてくださり、仕事が終わってからもかわいがっていただき、会社への不満はありながらも楽しみながら仕事ができていました。そんななか少し苦手だったのが工事などを請け負ってくれていた取引先の方々です。今となれば勝手な固定観念に縛られていたなと思いますが、「土木業界は怖い・難しい人が多い」と勝手に思っていました。ですが娘のようにかわいがってくださり、私がつらい思いをしていないか気にかけてお電話くださったりと本当に優しい方々でした。転職をすることは自分が職を転々としていてあまり良いイメージが持てずにいましたが、私は転職先での人との出会いにとても恵まれ素晴らしい思い出となっています。振り返ってみると学生時代からいつも人との出会いに恵まれているなと思います。この経験からこれからの人生でも一期一会を楽しみながら歩んでいきたいです。

「動物・ペット」の思い出

・猫との出会いです。1年ほど前、ある事情からひどく落ち込んでいました。毎日心身ともに調子がすぐれず、うすぼんやりとした日々を過ごしていた頃、家族が旅先から子猫を拾ってきてくれました。生後1か月も経っていないであろうその猫と出会えてから、私の人生に嬉しい、楽しいことがたくさん降り注ぐようになりました。今までも何度か、捨て猫を拾って世話してきましたが、今回はなぜだか私の人生で最高の思い出のように、私自身が感じるのです。その猫の食事やトイレの世話はもちろん、一緒に遊んでいるときの喜びは、なんとも言えないものがあります。こんなおもちゃはどうかな、こんなあそびは喜んでくれるかなと思案しているときも嬉しくてたまらないのです。

・それは生まれて初めてペットを買ったことです。愛犬との出会いは近所の激安ペットショップでした。スーパー銭湯で夫と食事をしていたとき、ふいに「あそこ行ってみる?」という話になりました。行ってみて実際に犬たちを見てみると、俄然家に一匹お迎えしたいという気持ちになりました。想像以上に可愛かったのです。でも私たちが選んだのは、床のサークルに入っていた小さな愛嬌のある犬ではなく、壁にずらりと並んだケージの端の端の上の方で、ぼんやり座っていたチワワでした。もう6か月だったのでとうが立っており、売れそうもないので隅っこに追いやられていたのです。お値段も激安ショップの中でも最低価格。でもその子が気に入りました。それから13年。まだ生きてくれています。そして子供のいない私たち夫婦の日々を楽しませてくれています。

・今14歳になったミニチュアダックスフントを飼っています。この愛犬が3歳の時に、3匹の子犬を産みました。子犬が生まれた時の嬉しかったこと!本当に感動でいっぱいでした。産気づいて2匹までは意外とすんなりと生まれたのですが、残りの1匹がなかなか出てきませんでした。時間ばかりかかってしまい、焦りは増すばかりでした。獣医さんに電話をして、色々と指示を仰ぎました。それでも結局、最後の子犬が出てきたのは、最初の子が生まれてから待つこと6時間以上後でした。この最後の子が生まれたとき、本当に嬉しかったです。愛犬の初めての出産自体が最高の思い出となっていますが、特に最後の子が生まれた時が、より嬉しかったと記憶しています。

「健康・ダイエット」の思い出

・いつも挫折していましたが初めてダイエットに成功しました。今も体型をキープしています。出産をしてからずっと太った体系でいました。子供がプールに行きたいと言われても太っていたので水着になることが出来ませんでした。私の中で何かが目覚めました。おそらくダイエットの神様が舞い降りたのだと思います。私はやると決めたらとことんやるタイプです。また始めたのは通販で購入しました美容液ダイエットシェイクです。このダイエットシェイクは味が種類豊富なのが良いです。私は夜置き換えダイエットにしました。朝と昼は野菜中心の食生活にしました。太っていると体重がみるみる間に落ちます。しかし停滞期というのがあって停滞期には体重はなかなか落ちませんでした。それが過ぎるとまた痩せ始めます。今では子供をプールに連れて行ったり夏休みも楽しく過ごしています。

「その他」の思い出

・自分が好きだと思えることが出来たことです。私は絵を描いたりものを作ったりすることが好きです。子どもの時、使い終わったカレンダーの裏に絵を描いていました。絵の出来に褒められても、けなされても関係なく、私はもっと描きたいと思うことに気が付きました。好きなことが人生の早い時に見つかったので、技法や画材について独学で情報を仕入れ、練習しました。次第にコンクールで賞をとったりなど成績をとれるようになり、芸術大学へ進学する費用を両親が全額支払ってくれることになったのでさらにものづくりの勉強ができる環境になりました。どんな状況にいても絵を描くこと、ものを作ることをやめないでいられたことが私にとっての最高の思い出だと思います。